野球事業部
東京第二グループ
野﨑 健太(2011年入社)

2012年4月新卒入社、野球事業部東京支部に配属。その後、ライオンズベースボールスクールの立ち上げを経験し、2017年に東京支部に異動、リーダーに就任。

怪我と仲間が入社のきっかけ

実は、私が学生時代に唯一採用試験を受けた会社がスクールパートナーでした。というのも、大学在学中にスクールパートナーの採用試験を受けるきっかけとなる出来事が2つあったからです。
大学に通っていた当時の私は、小学3年生からそれまでずっと野球を続けてきたこともあり「自分はずっと野球を続けていくのだろうな。」と漠然と考えていました。恥ずかしながら将来についてあまり深く考えることをしていなかったと思います。そんな折、怪我をして選手としては野球を続けられない状態になってしまったのが1つ目のきっかけです。怪我をしたあとは選手でなく、学生コーチとして当時所属していた野球部に携わるようになりました。相手は大学生でしたが、野球を人に教えるという初めての経験に大きなやりがいを感じ、指導者という道を初めて意識するようになりました。
もう1つは、所属していた野球部の同期が先にスクールパートナーから内定をもらっており、「野﨑にこの仕事合っているんじゃないか?」と紹介してくれたことです。社会に出てやりたいことが明確でなかった私ですが、元々子どもは好きでした。学生コーチになってから指導にも興味を持っていたということもあり、スクールパートナーを受験し、入社に至りました。怪我をして学生コーチを経験したこと、自分のことを理解してくれている仲間がいたことが私をスクールパートナーに導いてくれました。

すごく悩んだ時期は入社3年目

長くやっているからこそではありますが、卒業生がグラウンドに来てくれた時はやりがいを感じます。私たち指導員は、少なからず子どもたちの人生に影響を与えています。だからこそ、子どもたち1人1人との出会いや別れを大切にしていますし、責任を持って接するようにもしています。そのように接してきた子ども達が卒業してからも元気な姿を見せてくれることはとても嬉しいですね。
苦労したというより壁にぶつかった経験なのですが、入社3年目に凄く悩んだことがありました。仕事を覚えてきて慣れてきたがゆえに、仕事が流れ作業のように感じてしまい、ただただこなす毎日になっていました。仕事が楽しくなくなっていた時期でした。ただ、そこで自分を見つめ直して未熟な自分を知れたことで、仕事との向き合い方も大きく変わりました。 今はリーダーとして部下を持つ立場になり、同じように壁にぶつかっている後輩がいてもサポートしてあげられます。苦しくはありましたが、良い経験であったと前向きに捉えています。

多くの人と巡り会うことを大切に

私は野球をずっと続けてきて、今も野球の指導者ですが、野球へのこだわりは薄くなってきました。どちらかと言うと、スクールパートナーでの仕事を通じてより多くの人と巡り合うことを大切にしたいです。国内外に限らず、この会社は好きなスポーツというものに携わりながら、様々な人と出会い、経験ができる点が良いところだと思っています。今のスクールパートナーはどんどん海外進出もしており、新しい経験をつむ環境が整い出してきています。実際、同期入社の同僚がどんどん海外に出て活躍する姿を見ているので刺激になっています。私もゆくゆくは、海外で自分の力を試したいです。
目先のところでは、現在の部下を次のリーダーへ育成することが今の私のモチベーションです。スクールで指導する子どもたちの成長と同じくらい、部下の成長は大切だと思っています。人と人の関係なので、難しいと感じる点はたくさんあります。ですが、それも自分の成長機会ととらえて、チームみんなで成長する組織を実現したいです。